春暁
世界の中央に妖魔(ようま)や妖獣(ようじゅう)と言った生き物が跋扈する荒涼とした地――黄海(こうかい)があった。
その黄海の中心に天を突くほどに高い山々があり、中央を崇高(すうこう)、周囲四方の山をそれぞれ蓬山(ほうざん)、崋山(かざん)、霍山(かくざん)、恒山(こうざん)と呼び、それらを総称して五山と言う。
その五山の内、蓬山の中腹に蓬廬宮(ほうろぐう)と呼ばれる宮殿がある。
蓬廬宮には女仙(にょせん)と呼ばれる者たちが住まっている。彼女らは皆仙籍(せんせき)に入っており、不老長寿である。仙籍に入ったものは老いず、病気もなく、怪我のしにくい体となる。故に、女仙は外見こそ少女が多いが、実年齢の程はいかがなものか。
その女仙たちは麒麟の為に存在する。
迷路の様に入り組んだ蓬廬宮の奥には捨身木(しゃしんぼく)と言う白い木があり、その捨身木の枝になる実――卵果から麒麟(きりん)が生まれる。麒麟は神獣である。獣と言うが幼い頃こそ獣の姿を取るが、成長に伴って転化することを覚えると常に人の形を取るようになる。そして、成長した麒麟は王を選ぶこととなる。
つまり、蓬山は麒麟の生まれる聖地であり、蓬廬宮は王を選ぶまで麒麟の住処となり、その身の回りの世話をするのが女仙なのだ。
故に蓬山の主ということで蓬山に居る間は麒麟を蓬山公とも呼んだ。
つい先頃まで蓬山公として蓬山に麒麟が居た。
居た、というのはその麒麟が今は蓬山を下りているからだ。
王を選んだ麒麟は蓬山を下り、自国に下ることとなる。だが、その麒麟は王を選び国に下ったわけではない。
王を探しに向かったのだ。
本来であれば、自らが王たらんと望む者が天意を諮るべく黄海を越え蓬山に登ってくる。それを昇山(しょうざん)と言うが、そうしてやってきた者達に麒麟が面会し王気(おうき)を持つ者を見出す。
だが、時にはいつまで経っても昇山者の中に王を見出せないこともある。
そういった場合、麒麟自ら蓬山を下り王気を頼りに王を探しに向かうこともあった。
そうして王を探しに蓬山を下りていた麒麟が王を連れ、戻ってきた。
それはその麒麟が蓬山を下りてから10日余りを過ぎた時のことだった。
昇山が始まってから10年の月日を経て漸くあの麒麟が王を見出した。
その知らせは瞬く間に蓬山内の女仙たちに広がる。
と、言うのも麒麟と共に蓬山へやって来た新王が美丈夫であると広がった為だった。
新王の名をイザーク・ジュールと言う。僅か25歳にして禁軍右軍将軍の地位についていた。民に『軍神』と謳われ、反乱分子に対する抑止的存在であった彼は国を離れることが出来ず、故に昇山出来なかったらしい。
そういった噂は蓬山にも届いていたので、彼が王であったことに女仙の誰もが納得を見せた。もっともその容姿についてまでは伝わっていなかったうえに、彼と麒麟の姿を見た者達の話が彼女達の好奇心を益々刺激し、蓬廬宮内はちょっとした騒動になってしまった。
天勅(てんちょく)を受ければ正式に王として即位したこととなり、そのまま王と麒麟は国に下ることになる。
それまでの間、新王らは蓬廬宮で一番大きく、外にもっとも近い場所にある宮、丹桂宮(たんけいきゅう)に逗留していた。
古くから丹桂宮にて天勅を戴く吉日を待つのがしきたりだからだ。
その丹桂宮に遣わされた女仙達曰く――
新王を前にして、まず目を引かれるのは光を受け燦然と輝き放つ銀の髪。肩先で切り揃えられた真っ直ぐなそれは彼の動きにあわせさらさらと流れ、決して乱れることは無い。
長身ですらりとした体躯は細身ではあるが、しっかりとした青年の身体つきで逞しくすらある。手は指が長く武人とは思えないほど美しい。肌も女仙が羨むほどに白く肌理が細かい。
そして、瞳。蒼穹の様な色をしたそれは凛とした強さを孕み、冷ややかな鋭さを併せ持つ。
彼の全ての立ち居振る舞いがとても優美で、一挙一動が様になる。
更になんと言っても麒麟と並ぶその姿。
不可思議な麒麟独特の煌めきを放つ藍の髪に吸い込まれそうなほどに澄んだ翠の瞳を持ち、16を数えたばかりで中性的な顔立ちとまだ僅かに幼さを残す華奢な身体つきの麒麟。
儚さを漂わす美しいかの麒麟を従えた様は正しく、王。
とのことだった。
なんとなく誇大表現されていそうなのだが、彼を見た者たちが口々に言うのだから他の女仙達が気になるのも仕方がないだろう。
一方、その噂の当人である新王、イザーク・ジュールはちょっとしたことに頭を抱えていた。
それは裏で騒ぎ立てている女仙達…ではなく、隣に座っている麒麟についてだった。
年の頃は16の麒麟は見た目よりも更に幼く見える一面を持っていた。
数日を共に過ごし、その麒麟がとても聡明で優秀なことは話してみてもわかる。だが同時に、何処か不安定なふわふわした危うさのようなもの、幼い子供に近い部分が残っていることも知れた。
それは性格上のものらしい。そして、その幼い部分は顕著にイザークへ向けてのみ発揮されていた。
特に端的に現れ出ているのが、今の状態である。
ごたごたを処理しつつ――国を離れるにあたり、信頼できる者に色々なことを頼んできた――蓬山へ来たイザークは漸く一息つくことが出来、丹桂宮の一室にて休息を得ていたが、その隣に寄り添うように麒麟が居る。
蓬山に来る前に立ち寄った国の王宮内でも、蓬山についた現在でも、イザークの後を終始ついて回る。
その様子はまるでカルガモの親子である。
「おい…」
深く溜め息混じりにイザークは隣に声をかける。
と、ぱっと即座にイザークへ向き直り、瞳を輝かせ笑みを見せる麒麟。
「なんでしょうか?」
嬉しそうな声音を聞いてしまうと、言いたい文句も窘めの言葉も思わず詰まってしまう。
「……いや。」
一つ溜め息をつき、もう一度麒麟を見遣る。
溜め息に首を傾げ不思議そうに翠の瞳を向けてくるその様は子供のようだ。
「どうか、しましたか?」
「その敬語、やめろ。」
「え…?」
結局口にしたのは文句でも窘めでもなく、別のことだった。
が、実際に気になっていたことではあった。
イザーク自身、乱暴と言われる口調が多く、敬語で遣り取りすることがあまり好きではないのだ。
「普段は普通でいい。」
「いい、のか…?」
恐る恐る、砕けた口調で問いかける麒麟にイザークは頷いてやる。
「聞いているこっちも肩が凝る。」
「わかった。」
嬉しそうに微笑む麒麟を見ていると、やはり邪険に出来ない。
短気で我が儘だ、と親友に評されるイザークだったが、どうやらこの麒麟には敵わないらしい。
結局、苦笑するに留め、文句と窘めは飲み込むこととなった。
くすくす、と笑い声が聞こえた。
声の方を振り返ると一人の女仙がその様子を見守って居た。
「ミーア。」
その姿を見た麒麟が女仙の名を呼ぶ。
外見だけ見ればアスランと同じか少し上くらいの少女だった。桃色の長い髪を星型の個性的な髪飾りで留め、何処か華やいだ雰囲気を纏っている。
彼女はイザークらが蓬山へ来てからの短い間でもっとも接することが多い女仙だった。
元々、世話係としてこの麒麟と一番親しくしていたらしい。
「失礼致します。」
ミーアは一礼をし、歩みを進める。その手に持った盆の上にこんもりと切り分けられた桃の盛られた器があった。
甘い香りが二人の鼻を擽る。
「桃をお持ち致しました。如何ですか?」
問い掛けに麒麟がぱっと顔を輝かせ、イザークを見遣る。
どうやら好物らしい。ちなみに麒麟という生き物は生臭なものを食べられない。脂で煎ったものですら身体に障る。
「主上、食べていいか?」
「イザークでいい。…ああ、好きにしろ。」
ミーアが卓の上に桃の盛られた器を置き、麒麟に差し出す。
「戴きます。」
指先で一切れ桃を摘み、口元へ運ぶ。
瑞々しい果実を美味しそうに頬張る姿がまた子供のようで口元に苦笑が滲んでしまう。
「…イザーク様にお会いできて嬉しいんですわ。」
ミーアがくすくすと再び笑い混じらせながら、密やかに言う。
その言から彼女はイザークの悩みの種に気付いているらしいことが窺えた。
「それで、これか?」
「麒麟は皆、王が絶対の存在ですもの。それに、彼は10年も貴方を待っていましたから。」
彼女の語る声は優しく、隣に座る麒麟に向けられる瞳は慈愛に満ちていた。
「そうか…」
同じ様に隣を見遣ると桃の薄く色付いた果実を口元に運ぶ麒麟が瞬きをし、イザークを見上げる。
「…食べるか?」
拍子抜けをするような彼の言葉に肩が落ちる。
「それでも、出来ればもう少し空気を悟って欲しいものだがな。」
ぼそりと呟いたイザークにミーアは盛大に笑い、アスランは不思議そうにそれを眺めた。
結局、イザークは1、2切れ口にしたのみで残りを断った。
隣で麒麟が桃を頬張っている間、ミーアが用意してくれた茶をイザークは啜る。
「あー、でも残念だわ。」
そんな二人の様子を眺めていたミーアが愁いを帯びた様相で呟いた。
ぱちぱちと瞬き、麒麟が訊ねる。
「何が?」
「だって、もう少しでお別れなんだもの。」
「あ…そうか。」
国に下るということは蓬山を出るということだ。
ミーアは蓬山の女仙。会うことは殆どないだろう。
「寂しいわ。」
10年もの間、身近だった存在が無くなってしまうのは確かに寂しく思え、麒麟も小さく頷いた。
物悲しさを孕む沈黙が落ちる。
「そうだわ!」
嬉々とした様子でミーアが声を上げた。
「ミーア?」
「ね、ミーアも連れて行って!」
「連れて、って…ええっ!?」
「ミーアも蓬山を下りるわ。だから、王宮に連れてって。ミーア、ずっと身の回りのお世話をしたい。いいでしょ?」
女仙の中には時折蓬山を下りるものがいた。
例えば、昇山してきた者と思いを交わした者やミーアの言う様に麒麟に付き従った者だ。
後者はそれほど多くは無いが、全く例の無いことでもない。
「で、でも…」
必死なミーアの訴えに困惑しきった麒麟は己の主人であるイザークに視線を向ける。
「それは玄君が許しを出すかにもよると思うが?」
ミーアと麒麟のやり取りを眺めているだけだったイザークだが、縋るような目で見られては放って置く訳にもいかなかった。
「わたくしが、どうか致しましたか?」
其処へ4人目の声が聞こえた。
天仙玉女碧霞玄君(てんせんぎょくじょへきかげんくん)その人だった。
名をラクス、と言う。一般的には玄君(げんくん)と呼ばれる天仙(てんせん)であり、蓬山に住まう女仙達の長であった。
民の間では伝説上の美女と言われているが、その風貌は少女のようだ。
桃色の髪やその顔立ちがミーアと瓜二つに見えるが、ミーアとは違い落ち着いた穏やかな雰囲気を纏っている。
「ラクス様!お聞きください。私、お二人と一緒に…」
ミーアが駆け寄り、希わんとするのをラクスは手をあげ途中で制した。
その口元には全てお見通しのような微笑が浮かんでいる。
「ふふ、お話はわかりました。私は構いませんわ。」
ミーアからイザークへ向き直り、すっと目を細めると、言葉を続ける。
「…王宮の官吏を任命するのは王。王となられるイザーク様が許されるのでしたら。」
それを聞くや否や、ミーアはイザークの元へと跪き深く頭を垂れる。
「お願い致します!」
「…イザーク。」
更に懇願するような声で隣の麒麟が名を呼ぶ。
イザークは呆れを滲ませた溜め息を一つ落とす。
「わかった。女官として王宮に迎えよう。」
窺うように顔を上げていたミーアは許可の言葉に花が咲くように喜色の笑みを載せ、再び深くその場に叩頭する。
「ありがとうございます!」
ラクスはころころと鈴の音のような笑い声を立てた。
そして、顔を上げたミーアに麒麟が柔らかな笑みを向ける。
「良かったな、ミーア。」
「はい!宜しくね、徇麒(しゅんき)。」
と、言った後口元を慌てて覆う。
「あ、いけない。徇台輔(しゅんたいほ)とお呼びするんだったわ。」
麒麟に普通、名は無い。
雄の麒麟を麒、雌の麒麟を麟と言い、国氏(こくし)を冠した号(ごう)で呼ぶことになる。例えば、彼の場合なら舜極国(しゅんきょくこく)の雄の麒麟であるから、国氏の徇(しゅん)に雄の麒で『徇麒(しゅんき)』となる。が、号で呼ぶのは親しい者や私的な場合が多い。
公的には国に下った後に麒麟の就く役職名である宰輔(さいほ)。ただし、宰輔と呼ぶのは畏れ多い為に台輔(たいほ)と呼ばれることが多く、これが最も一般的な呼び名になる。
ちなみに宰輔の上に国氏をつけて呼ぶことはほぼ無い。ので、徇台輔とは呼ぶが徇宰輔とは呼ばないのだ。
それの様子を見てイザークは思い立った。
「そうだな…字(あざな)をやろう。」
字と言うのはすなわち呼び名のことを言う。
もっとも、麒麟を字で呼ぶのは限られた者だけになるが、それでも字を持つ麒麟は王に愛されていると言う証になる。
「お前は胎果だったな。」
「うん…?」
この世界では生き物はすべて木に実る卵から生まれ、その卵を卵果(らんか)と言う。
人間や家畜は里木(りぼく)、獣や魚や植物は野木(やぼく)、麒麟は蓬山の捨身木(しゃしんぼく)に実り生まれる。
その卵果が時折、蝕(しょく)と呼ばれる天災によって別世界――蓬莱(ほうらい)や崑崙(こんろう)と呼ばれる――に流され、そちらの世界で女性の胎内に宿り、生まれることがある。そのようにして別世界で生まれた者を胎果と言った。
この麒麟もまた、16年前に蓬山を襲った蝕で流され、別世界で生まれ育った。
6歳を数える頃に漸く発見され、此方に帰ってきたのだった。
「なら、向こうでの名があっただろう?」
「ああ。」
「なんと言う?」
かれこれ、10年も前の話だった。
少し懐かしく思いながら、己に与えられていた向こうでの名を思い出す。
「――アスラン。…アスラン・ザラだ。」
「ね、由来は?」
二人のやり取りを聞いていたミーアが身を乗り出した。
「夜明けと言う意味だと、母上が教えてくださったが…」
彼がまだ向こうの世界にいた頃に母は亡くなった。父も、此方に戻る直前に命を絶たれた。
思い返すと真っ先にそのことが蘇り、切なさに胸が締め付けられる。
「夜明け――暁か。良い名だな。」
その声に主人を振り返ると、溢れんばかりの輝きが見えた。これこそが王気。麒麟である彼だけに見える希望の光。
イザークは目を細め微笑み、藍色の髪を撫ぜる。
「アスラン、で良いだろう。折角ご両親がくださった名だからな。」
「イザーク…」
イザークは彼の両親が亡くなっていることなんて知らない。
それでも、彼の胸に去来する切なさを見抜いた。
そして、彼の不安も何もかもを浄化するような光を与えてくれる。
――彼こそが王だ。
「…アスラン。」
イザークがその声で名を紡ぐ。蒼の瞳が優しく笑みを刻む。
湧き起こる歓喜と哀愁に耐え切れず、イザークに抱きつく。
しっかりと抱きとめてくれるその腕の中で、彼――アスランは今まで抱えてきた思い全てを曝け出すように咽び泣いた。
「春来」の続きになります。が、一応片方ずつでも読めるように頑張りました。
ちなみに、正確に言うと…
「春来」の最終部分にある『彼はイザークを伴い、蓬山へ戻り天勅を受けた。』にあたる話ですね。
ややこしくてすみません。
ついでに語ると…
始め、十二国パロを考えていた時は二通り考えていました。
一つは戴国の設定で、原作に沿った形で話を進めようかと…
けれども、原作ではまだ戴国の行く末がはっきりしていないし、長編になってしまうのでお蔵入りさせました。
で、もう一つ別個で考えていたのが此方の設定でした。
此方はもう私の勝手な妄想を詰め込んだ完全オリジナルストーリー。
なので、原作に登場していない瞬国がいいかなと考えていました。(が、「春来」では出しませんでした。)
更に語るとイザークが玉座についた後の話もあったりしますが…長くなりそう。
まあ、短編で読める軽い小話ならまた書くかもしれません。
長いあとがきになりました。
簡単にでもご感想など頂けると嬉しいです。
07.11月25日