休日
戦後、どうにかプラントに戻ることを許されたアスランはそれと同じ頃に一人暮らしを始めたイザークと同居することとなり、暫くしてアスランのザフト復帰も正式に叶った。
そんなこんなで復帰したばかりのアスランも、隊長職に就くイザークも、まだまだ安定しない情勢に振り回され未だ忙しい日々が続いている。
その為、二人揃っての非番と言うのは随分と久しぶりだった。
まずは普段忙しく疎かになりがちな家事に二人がかりで取り組む。
なにせ、それなりの収入を持つイザークが購入したのは一戸建ての家――端から一人で暮らすつもりが無いことが窺い知れるが、そこは何処か抜けたアスラン。気が付く様子はない――だった。二階建ての一軒家はそれなりに広い為、すべきことは多い。洗濯や掃除、買出しといった家事に午前中は費やされた。
全ての家事を終え、二人でイザークの作った昼食を取り、一息入れる。
午前中に家事を済ませたおかげで、午後は二人リビングで久しぶりにゆっくりとした時間を過ごすことができた。
アスランはローテーブル横のふかふかの絨毯が敷かれた床に寝そべり、細かな回路の描かれた図面を端末の画面に広げている。
その傍らでイザークはソファに腰掛け、時折長い脚を組み替えながら読書をしていた。本は随分前に取り寄せた民俗学の文献である。
接点のない互いの趣味である。会話もなく静寂に包まれた室内はしかしながら穏やかに心地良い雰囲気を保つ。
どれくらいそうしていただろう。
一心に活字を辿っていた本からイザークが顔を上げ、軽く息をつく。
開け放たれた出窓からは柔らかな日差しが差し込み、そよ風が二人の髪を揺らす。
イザークはそれに誘われるよう外に視線を移した。
作り物の空は蒼穹を描く。今日の百発百中の天気予報は一日中快晴。
普段は乾燥機で乾かしている洗濯物も今日は庭先の物干し竿に並んでいた。もう乾いただろうか。
暖かな日差しに対し、吹きぬける風は穏やかではあったが少しひんやりとする。
時が移ろう。
物干し竿に並ぶTシャツもそろそろ季節外れか。
時間の流れと言う物は意外に早く過ぎていくものだ。
季節にせよ、今この時間にせよ…
イザークは程よく切りの良い所まで読み進んだ本のページに栞を挟み、それをローテーブルに置く。
「アスラン、何か飲むか?」
傍らでうつ伏せに寝そべっている藍色の頭を見下ろす。と、先程まで複雑な回路線に向けられていた瞳が閉ざされ、穏やかな寝息を立てていることに気がついた。思わず苦笑が零れる。
ここ数日、特に忙しかったのだ。疲れが溜まっているのだろう。更にこの穏やで暖かな室内に眠気を誘われるのも無理は無い。元々アスランは何処でも寝る特技を持っていたな、などと考えながら立ち上がるとリビングを後にする。
すぐに戻ってきたイザークの手にはタオルケット。寝室から持ってきたそれをそっと身体に掛けてやる。
「まったく…風邪を引いても知らんぞ。」
言葉とは裏腹にイザークの口調は小さく、柔らかい。
起こさないように気を付けながら、藍の髪を撫でる。癖っ毛の柔らかな感触に目を細めた。
イザークはその手を引くと静かに傍らを離れ再びリビングを後にする。当初の予定通りキッチンに行き、大き目のマグカップにミルクティを作った。
それを片手にリビングへ戻るがそのまま足を止めずアスランの元を通り過ぎ、ベランダに出て行く。
一応、起こさぬようにの配慮。もっとも、相手はちょっとやそっとのことじゃ目を覚まさないアスランなので余計な気遣いかもしれないが。
それでも自分がそんな思いやりを見せることが出来るようになったのは大人になった証拠かもしれない。
等と考えながら室内で眠るアスランを眺め、片手に持ったマグカップにあてた口元にイザークは微笑を乗せた。
まどろみの中は酷く心地良かった。
アスランはぼんやりとそこに佇んでいた。
まだ冷たさを纏う風が木々を揺らし、淡いピンクの花弁を辺りに撒き散らす。
桜――この花から連想するのは幼い頃の別れ。茶色の髪の少年にそっと黄緑色の鳥型マイクロユニットを手渡した。
『また逢えるさ。』
再会を約束して。
確かにそれは守られた。戦場の最中で…
月で過ごした幼少時代。父とは離れて暮らし、多忙な母が家に居ることは少なく、その為アスラン自身も自宅より隣のヤマト家で時間を過ごすことが多かった。
幼馴染のキラと遊び、夕餉の時間になれば彼と共に彼の家へ向かう。
キラとその家族と過ごす時間は嫌いではなかった。
寧ろ、本当の兄弟のように仲の良いキラと一緒に居られる事はとても嬉しかった。
けれども、彼の家の温もりが優しくて、少し悲しかったことを覚えている。
そんなことを急に思い出した。
あの頃の自分と比べ、今の自分は何処が違うのか。
きっとなくしたものがたくさんあるからなのだろう。
月で過ごした帰らぬ日々――
優しく美しい母――
一番の親友との絆――
愛らしい婚約者――
大切な仲間達の命――
そして…たった一人の父――
一人取り残されていく淋しさに胸が締め付けられた。
それと同時に同じ…否、それ以上のものを奪ってきたことも思い出す。
奪われ、失ったものが戻るわけではないのに、それでも怨嗟の思いから刃を取った。
守りたいなんてきっと建前だ。本当は復讐の刃だった。
その刃を、力を振るって多くのものを傷つけ、奪った。
この両手は真っ赤な血の色に染まっている。
それでも、今の自分を否定しようとは思わなかった。
迷い、苦しみ、道を間違え、時に立ち止まって…
そうやって歩んできた。築いてきた。
だから、このままでいい。
そんな風に思えるのは君が居てくれるから。
疎い自分をいつだって信じ、待っていてくれた。君は俺に勝てないと言っていつも怒っていたけど、本当に負けていたのは俺の方だったのに。
不意に意識が浮上していく感覚。
求めるように彷徨った潤みをおびた翡翠の輝きが夕焼けの中に佇む銀を纏う彼に焦点を結んだ。
唯一の同居人がすやすやと寝息を立てているせいで話し相手もいない。
カップを傾けながらイザークは吹く風に銀糸の髪を靡かせながら、ぼんやりと空を眺めていた。
見慣れた作り物の美しい空。
嘗て、宇宙生まれの宇宙育ちで見る事が叶う者は少ないだろう、本物の地球の空と言うものをイザークは目にしたことがある。自然が生み出す地球の蒼穹は人工の空と比べ物にならないほど、確かに素晴らしいものだった。
けれども、イザークは地球の空よりもこのプラントの空の方がいとおしく思える。
それはこの空の下で生まれ、育ったが故か。
そして、イザークは…否、イザークたちはこの空の下にあるものを守りたくて、そうして銃を取った。
作り物の空、作り物の大地、作り物の命…
全てが人工物で成り立つ世界であろうとも大切で愛しい、たった一つの故郷。
それを守りたいと、皆同じ様に命をかけた。
そうして…散っていったものがいる。
陽気なムードメーカーのオレンジ――
優しく思い遣りに溢れた緑――
明るい兄貴分の金――
戦時中だった時の方が終結した今よりも輝いて見えるのはあの仲間達がいたからなのだろう。
迷い無く、純粋なまでに真っ直ぐに志を同じくし、戦場を駆け抜けた者たち。その戦いの中で時に休息を共にしながら。
文字通り、苦も楽も共にした――同志・戦友・仲間…
けれども、もういない。生き残ったのは一握りの命。
イザークやアスランのような傷つき果てたぼろぼろなものたち。
守ることが過ちに移ろったのは何がきっかけだったのだろう。
決して、失う為に戦ったわけでも、奪う為に戦ったわけでもなかった。
が、実際に終わりを迎えてみると自分達が信じたものがなんだったのか分からなくなる。
この空は所詮作り物でしかないのだろうか。
それを守ろうとした仲間達は一体何の為に散っていったのだろうか。
傷つけあい、奪い合い、失った。それだけが確かだ。
戦争が終結したと言われる今ですら問題は解決しない。
未だにプラントに向けられる刃は尽きない上に、小さな諍いも耐えない。
人は何度繰り返しても、繰り返しても、それを止めることが出来ないのだ。
なら、彼らがしたことは、自分達が今していることはどれだけの意味があるのだろうか。
随分長い間、昔に浸っていたらしい。
気がつくと人工の空が赤く色付いていた。その色はどこか寂しく、けれども何処か優しい。
青空が夕焼けに、夕焼けが闇の色に、闇の色はまた暁に…
そんな風に時間が過ぎ、少しずつ変化を齎していく。
今日がまた終わっていく…そして、また明日が――
ああ、そうか。
例え、僅かでも時間が過ぎれば変化が齎される。
すぐに山積みの問題が解決されると言うわけではないが、明日に希望を託していくのだ。
彼らの志を自分達が継いでいる。それを胸に自分達は彼らの持てなかった今日を踏み台にまた明日へ向かっていく。
時に傷つき、時に絶望を覚えながらも、生きている限りは希望も存在する。
それでいい。
過去を振り返ることも大切だけれど…
今日を、明日を、自分たちがいる場所を確かめながら歩いていくのだ。
確かに、一歩一歩――己に託された思いと共に。
「イザーク…」
細く呼ぶ声にはっと振り返る。
アスランの瞳が真っ直ぐに向けられていた。
その瞳が潤んで見えるのは寝起き故か、それとも別の要因があるのか。
そのどちらでも構わなかった。
イザークはベランダからリビングへ戻る。アスランの傍らに膝を着いた所で冷め切ってしまったカップを手に持ったままであったことに気がつきローテーブルに置いた。
「どうした?まだ寝ぼけているのか?」
上半身だけを起こし、ぼんやりとした表情で自分を見上げるアスランに苦笑する。
「いや…少し、夢を…」
そう言って赤く染まった空へ視線を向けるアスランをイザークは何も言わずに抱きしめた。
何となく、アスランも同じことを夢の中で考えていたのではないかと思えたから。
ゆっくりとアスランの手が背に回されるのをイザークは感じた。
――此処にいる。
俺達は、此処に…
ポルノグラフィティの『休日』がテーマでした。
転寝している恋人の傍らでベランダに出た彼氏が物思いに耽っているという歌詞なのですが…
「となりの家から夕飯時の〜」や「あの頃と比べて僕は〜」の辺りはアスランのイメージだったので、アスランにも夢の中で考え事をしてもらいました。
イザーク視点よりアスラン視点の方が歌詞に副った流れになったんでしょうが、転寝するのはやはりアスランでなければ!と、言う私の偏見でこうなりました。
07.10月18日