しなやかな腕の祈り

赤、赤、赤…――
そこにあるのは、一面の赤……

うわあああああっ…――
響き渡るのは、己の悲鳴……

左脚…――
充満するのは、血の匂い……

アルフォンス…――
一緒に居た弟は、いない……

母さん…――
目の前にあるのは、罪……


「はあ…っ、…」
勢い良くシーツを跳ね除け、飛び起きる。
金色に輝く髪は汗で額に張り付き、普段は焔を宿す瞳も今は儚く揺れる灯火を映す。
エドワードは荒い呼吸を繰り返しながら、部屋の中を見回してみる。
其処は当然の事ながら宿の一室に過ぎなかった。
エドワードはほっとした思いで息をつく。
だが、エドワードは判っていた。
今見た夢は決して「夢の中の出来事」などではないと。
己が犯した罪の「記憶」なのだと。
額に張り付いた前髪に生身の指を差し入れ、くしゃりと乱す。
ぐっしょりと濡れ、肌に張り付くシャツが気持ち悪い。
それ以上に吐き気を催すほどの不快感を齎すのは込み上げる激しい感情。
その奔流はエドワードの心を侵略していく。
前髪を掻き乱していた手が力なく落ち、シーツの波へと沈む。
まるでエドワードの心を映すかのように……
「ちくしょ…っ」
渇いた咽喉から呻きとともに絞り出した声は今にも泣き出しそうなほど弱々しい音だった。
夜の冷たい空気はエドワードの絶望を孕んだ声音にすら冷たく、余韻もなく消し去ってしまう。

失くしたものを取り戻そうとした愚かな自分を忘れることはない。
そう、たとえ寝ているときであっても――

苦しげに眉根を寄せ、エドワードは込み上げる涙を堪える。
エドワードは涙を流す事をよしとはしない。
弟のアルフォンスは眠ることも、食べることも、泣くことも出来ないのだから。
逃げる事は許されないのだという思いの反面、泣きじゃくり逃げたがる己も居た。
エドワードは渦巻く感情の中で混乱し、目の前にあるモノを見たくないと意味もなく目を横へと背ける。
目を背けた所で視界の中の闇が消えるわけでもないのに。
だが、真っ直ぐに暗闇を見詰めている勇気がなかった。
蟠っている闇がまるで今のエドワードの心のようだったからかもしれない。
だから、少しでも窓際の明かりが差し込む場所へと無意識に目を逸らしたのだろう。
カーテンの隙間から月明かりが細く差し込んでいる。
僅かな明かりがエドワードのささくれた心に優しく触れた。
ふとエドワードは強い光を感じ、瞬きを零す。
目を向けた先に合ったのは細く弱い光を反射し鈍く強い光を放つサイドボード上の銀時計だった。
揺らぐ瞳が真っ直ぐに銀時計を捉える。
あれ程乱れていた心が不思議と研ぎ澄まされたように静まり、落ち着いていく。
同じ金属で出来た右手をそっと伸ばしそれを取る。
じゃらりと音を立てる鎖がまるでエドワードを軍という集団に縛り付ける象徴のようだった。
しかし、この銀時計は自分が再び歩き始める事を決意した証でもある。
目指した海を諦め、それでもお日様を浴びたいと…
ぎりっと音がしそうなほど強く銀時計を握り締める。
生半可な覚悟でこの道を歩んでいるわけではない。
思い出す決意とともに、一人の大人の姿が目に浮かぶ。
エドワードに険しいながらも進み行く為の道を示した恩人。
絶望の淵に立っていたエドワードを叱りつけ、手を差し伸べてくれた。
そして、誰よりも貪欲にたくましくも強かに天へと腕を伸ばし進む憧れの存在。
本人の前では口が裂けてもいえないけれども――
あの人のようになりたい、ありたいとそう思える。
それは姿とか性格とか、そういうことではなく真っ直ぐに突き進む強さがエドワードは欲しかった。
あの人に近づこうとするならば、こんな事で揺らいではいられないのだ。
少々雨に打たれたくらいでは立ち止まらない、立ち止まれない。
銀時計とそれを握り締める手をじっと見つめる。
儚い灯火が再び激しく燃え上がり、焔を宿す金色の瞳が輝いていた。




エドワードが東方司令部を訪れたのは太陽が真南を過ぎて間も無くだった。
その訪問はいつもとは違ったものだった。
まず、隣にいつも一緒に居る弟のアルフォンスが居ない。
アルフォンスには昨日までいた町で待っていてもらっている。
後ろめたい思いがあったのだが、当のアルフォンスに行ってこいと背を押されたのだ。
良く出来た弟だと心の底から思う。
そして、もう一つはいつもなら東方司令部の馴染みの面子が詰めるオフィスに寄るのだが、今回は真っ直ぐに司令官の執務室へと向かった。
単純になんだか顔を合わせづらかったからだ。
エドワードは目的の人物が中にいるであろう扉を前に深呼吸をし、気持ちを落ち着ける。
いつもと違った来訪に緊張する気持ちがあった。
息を吸い込みゆっくりと生身の手を上げ、コンコンと軽いノック音を響かせる。
「どうぞ?」
返ってきた声はいつも迎えてくれる彼のものではなく高い女性のものだった。
エドワードは心の奥で訝しがりながら扉を開き、室内に足を踏み入れる。
「あら、エドワード君。久しぶりね。」
笑顔で声を掛けてくれたのは彼の優秀な部下であるホークアイ中尉だった。
気づかれないように見回す執務室内、いつも彼が腰を下ろしている革張りの椅子は空席。
その椅子の置かれた大きなデスクの上の書類を整理するホークアイ中尉しかいない。
エドワードの心を明らかな落胆が占めていく。
「ああ、久しぶり。」
片手を挙げ、エドワードは笑顔で挨拶の言葉を返す。
心の内の落胆を見せるわけにもいかない。
「アルフォンス君は?」
「今日はオレ一人……ちょっと、大佐に用があってさ。」
エドワードは少し答えにくそうに苦笑をする。
返答の中に含まれたものを感じ取ったのか中尉はそう、と応えるだけだった。
「その大佐はまたサボり…?」
目の前の革張りの椅子に視線を向けると、気まずさを誤魔化すような調子でやれやれと息をついてみせる。
それに対し今度は中尉が苦笑を浮かべる。
「いえ……大佐はちょうど休憩に入られたところなの。」
書類を整理する手を止めることなく返された言葉にエドワードは些か驚いた表情を見せる。
「休憩?」
「ええ…テロが続いていてね…そのせいで最近殆ど休息を取られていなかったのよ。ようやく落ち着いてきたから、お昼の休憩と合わせて仮眠を取りに行かれたわ。」
「テロ、が…?」
忙しなくあちこちを飛び回り賢者の石を追いかけているエドワードが東方の近況を常に把握しているわけがない。
まさに寝耳に水と言った内容の話だった。
詳しく聞いてみたところ、いくつかの組織が結託して行ったものらしい。
あちこちで爆破事件や襲撃事件が起き、その事件現場の検証やら修復やらに駆りだされ、更に一般市民からの苦情や非難の声が殺到。
極め付けが上からの東方司令部司令官、つまり彼に対する圧力。
猫の手も借りたいほど忙しいと言うのにわざわざ中央へ呼び出しまで受けたらしい。
最終的に彼自らが組織の制圧に赴き、人間兵器としての恐ろしさを知らしめたのだという。
淡々と書類の整理をしながら語る中尉をエドワードはまじまじと見つめてしまった。
中尉が嘘をつくことなどないと判っている。
だがそのまま飲み込んでしまうにはその話は大きすぎた。
「一応、大佐は今仮眠室にいらっしゃるわ。さすがに疲れているでしょうから大人しく休まれているはずよ。」
話を聞き、放心状態になっていたエドワードに中尉は柔らかな笑みを向け言う。
エドワードは少しの間を開け頷き、
「うん、ちょっと行って見てくる……」




エドワードは執務室を後にし、仮眠室へと向かう。
急く気持ちからか自然と早足になっていた。
目的地に着くと寝ているであろう彼を起こさないよう静かにドアを開き、エドワードは中を覗きこむ。
カーテンが閉められ、光が遮断されており誰かが寝ている気配があった。
足音を立てぬように気をつけつつエドワードは身を滑り込ませ、ドアを閉める。
廊下からの明かりも遮断され室内は真っ暗と言わないまでもそれなりに暗くなる。
置かれた物にぶつからぬように足元に気を配りながら、ベッドへとエドワードは歩みを進める。
暗闇に慣れた眼で見回してみると、幾つか並んでいるベッドの中で現在使用されているものは一番奥のベッドだけのようだった。
エドワードは足音を忍ばせそのベッドへと近づくと、誰かを確認する為に寝顔をそっと覗きこむ。
まず、目に入ったのは漆黒の髪。そして白磁のように白い頬。普段よりも更に幼く見える寝顔。
会いたかった相手である、この東方司令部司令官、「焔」の二つ名を持つ国家錬金術師ロイ・マスタング大佐だった。
ロイは軍靴と上着を脱ぎ、シャツの釦を幾つか外した姿で眠っているようだった。
「大佐…」
熟睡しているのだろう。エドワードの密やかな声にぴくりとも反応することなく寝息を立てている。
エドワードは生身である左手を伸ばし、そっとロイの頬に触れてみる。
触れた肌は寝不足からか多少ざらついていた。
よくよく見てみると普段から白い顔色が更に青白く、痩せた様にも見える。
見下ろす寝顔には激務の疲労が色濃く感じられた。
エドワードは眠りを妨げぬように気を配りながらその漆黒の髪を指先で撫でる。
「ん……――」
微かな呻きが聞こえ、起こしてしまったかとエドワードは手を引く。
だが、ロイに起きる気配はなく、代わりに眉根を寄せ苦しげな表情を浮かべていた。
「大佐…おい、大佐…?」
エドワードは小声で呼びかけても、ロイの苦しげな様子はかわることない。
困惑したように眉を顰めつつ、エドワードは宥めるように再びロイの黒髪を指で梳く。
汗をかき始めたのか額に前髪が張り付いていた。
閉じられたロイの眦に小さく光る粒が浮かび上がる。
「ころさせ、ないでくれ……」
呻きに混じって聞こえたか細い声にエドワードの髪を梳く手が止まる。
自分が思い間違いをしていた事にエドワードはようやく気づくことが出来た。
ロイもまた過去に犯した罪の悪夢に魘されることがあるのだと。
「大佐…ごめんな…」
零れんばかりの愛を注いでくれるロイにエドワードは寄りかかってばかりだった。
ロイがくれたものの大きさをエドワードは初めて知った。
今、エドワードは心の底から思う。

――この人を抱き締めてあげたい
――暖かく包み込んで悪夢から守ってあげたい

……涙を受け止め、眠らせてあげたい、と…

エドワードは椅子から立ち上がり、靴と上着を脱ぎ捨てる。
それからベッドへと乗り上げると身を屈め、身体を横たえ呻きを漏らすロイを抱き締めた。
流石にそれにはロイも目を覚ましたようで、閉ざされていた瞼がゆっくりと持ち上がる。
間近に見える漆黒の瞳は潤みを帯び、哀愁と儚さに今にも崩れ落ちそうなほど弱かった。
これが偽らざる彼の素顔なのだろう。エドワードを支える為に着込んでいた甲冑を脱ぎ捨てた、ロイの脆い部分。
「はがね、の…?」
掠れた覇気のないロイの声がエドワードの戒めの名を紡ぐ。
それがエドワードの心に小さな痛みを齎す。
「大丈夫…大丈夫だ…」
幼い子供にするようにエドワードはロイの頭を胸元に抱き寄せて、撫でた。
今まで支え助けてくれたことへの感謝とこれからは自分に寄りかかってくれていいのだという思いを込めて……
驚いたように目を見開くロイに柔らかい口付けを落とす。
しっかりとロイを抱き締めて、エドワードは優しく微笑んでいた。
ロイは嬉しさと同時に耐えていた思いが心の奥底から込み上げるのを感じ、潤む瞳を瞬かせエドワードの腕に縋るように手を添える。
大人へ成長する途中の少年の胸へと顔を埋めさせる。
「泣いてもいいぜ…?」
よく透る少年らしい変声期前の声音が耳へ届くと堪えていた思いがロイの瞳から堰を切ったように溢れ出す。
零れ落ちる雫にエドワードはそっと唇を眦や頬へ落とし、拭ってゆく。
エドワードのしなやかな腕に抱かれ、ロイは涙を零しながら緩やかな眠りに落ちていく。
そのしなやかな腕がとても温かく心地良かったから。


エドワードはロイを勝手にたくましく突き進む強い人だと決めつけていた。
ロイは一体何処でその傷ついた足を休めていたのだろうか…
エドワードの瞳に今まで見えなかったロイの弱さが見え始めた。
些細なきっかけで、エドワードは大きく成長したのかもしれない。
だからこそ、彼の傷が見えたのかも――

 


あとがきという名の懺悔

始めの構成と大きく変わりました…
逸れはもう何度も書き直しまして…
まあ、そんなものですよね…(遠い目)

えっと、曲をもとに作品を考える事はよくあったんですが実際に執筆したのは今回が始めてだったりします。
Coccoはある方のお勧めだったのですが、歌詞がとても好きで…
聞いてみてすぐに気に入りました。

今回お題にした「しなやかな腕の祈り」はエドとロイの二人にぴったしだと思うのです。
エドの想いに合うと思うのですが、サビの所はロイにも合うような気がするんで…

ちなみに、今回のテーマは「甘く切なく不思議な物語」だったのですが、出来上がってみれば「暗く情けない意味不明な物語」です…(遠い目)
これでも、いつもと違った雰囲気を出そうと頑張ったんです!(必死)
所々に歌詞の中の言葉を織り交ぜてみたり…
時間の流れがわかりにくいような場面展開にしてみたり…
―――――――変わってないですね。(べしゃ)

それでも少しでも何かを届けられる作品になっているといいです…
ご意見・ご感想をお待ちしております。(ぺこり)


05.6月18日