There is a Black Cat(改訂版?)
一匹の黒猫がいた。
――とても美しい
――とても優美な
――とても可愛らしい
けれど……
――非常に自尊心が強い
――非常に高慢な
――非常に我儘な
そんな黒猫に俺は魅了された。
「たーいーさー、何処っすかー。」
今日も今日とて、焔の錬金術師、ロイ・マスタング大佐は仕事を放り出して逃げ回っていた。
それを追いかけるのは煙草を咥えた彼、ジャン・ハボック少尉である。
ハボックはリザ・ホークアイ中尉に命じられ、ロイの行方を追っていた。
確認した所、東方司令部の外へ逃げた様子はないので、こうして司令部内を歩き回っていたのだ。
だが、その捜し振りはとてもノンキなもので、煙草を燻らせながら歩き回るだけ。
本気で捜し出す気はあるのか、と問いたくなる。
しかし、そんなハボックを窘める者はなく、皆一様に苦笑するのみだ。
ロイの逃走もハボックのやる気のない捜索もここでは日常茶飯事なのだ。
風が頬を撫で、煙草の煙を浚っていく。
「いないなー。あとは……書庫、か。」
中庭を一回りしたところでハボックは足を止め、呟く。
ぱっと見、適当に司令部内をうろついているだけの様にだが、決してそういうわけではなく、きちんとロイのいつもの逃走先を考慮した上で歩き回っていたのだ。
適当そうに見えてしまうのはハボックの咥え煙草と、飄々とした態度が要因だろう。
「しかたねぇなー…」
後ろ頭を掻きながら踵を返す。
そのまま建物内へと戻り、書庫へと足を向ける。
東方司令部の書庫はさほど広くはないのだが、並んだ書棚のせいで死角が多い。
さらに、奥には通常立ち入り禁止となっている重要書類の保管室がある。
隠れるには持って来いなのだ。
書庫に到着するとハボックは迷わず中へ入っていく。
「大佐―。居るのはわかってますから出てきてください。」
呼びかけても返事は無い。もっとも、素直に返事を返すとは思っていないが…
ハボックは書庫の中を隈なく捜して歩く。
ドア側の書棚から順にゆっくりと歩きながら、ロイが居ないかを確認していく。
特に本棚の陰など死角になっているところを念入りに覗き込むようにしながら。
そうして一番奥まで辿り着いた所で、
「居た……」
目的の人物は書庫の隅のやはり死角となる所に居た。
しかも――
「寝てるよ……」
そう、ロイは本棚に背を預けて、しっかりと、おそらく仮眠室から持ってきたのだろう毛布をかけて熟睡していた。
屈み込み相手の顔を覗き込むが、一向に瞼をあげる気配はない。
ハボックは溜息を一つつき、
「大佐―、起きてください。中尉が御冠ですよー。」
だが、ハボックの声にもロイは全く反応しない。
最近残業や徹夜が続いていたせいで、よほど疲れているのだろう。薄暗い書庫の中でロイの顔色は青白く見えた。
ハボックは屈んでいた身体を起こし、小さな声で誰が聞くでもないというのに、
「やれやれ……俺だから良かったものの、中尉に見つかってたら発砲もんですよ?」
その光景が目に浮かび思わず笑みが零れる。
「まあ、こうやって逃げ出した時点で発砲ものなんスけどね。」
ハボックはそっとずり落ちかけている毛布をかけなおす。
無理矢理にでも起こすべきなのだろうが、ハボックにはそれが出来なかった。
「ホント、ガキみたいっスよね。」
ロイの寝顔は元々実年齢より若く見える容貌に拍車をかけ、あどけない子供のようなのだ。
ひとたび目を覚ませば、計算高く、傲岸不遜で我儘な大人になってしまう。
だから、もう少し子供のようなロイを見ていたい、それがハボックの本音だった。
ハボックはロイの隣に腰を下ろすと、胸のポケットから煙草を取り出し咥える。
そこでふと、今自分の居る場所が書庫であり、灰皿などない上、火気厳禁であることに気付く。
仕方なしにハボックは取り出したライターを仕舞うが、口元が寂しいのかそのまま煙草を咥えている。
そして、隣で眠るロイの様子をまじまじと見つめる。
「睫、長いな。肌は白いし。髪はサラサラ。」
ハボックはロイの顔の輪郭を軽くなぞってみる。
男性とは思えないほどさらりとした肌触りが指先に伝わる。
「本当に顔はいいよな。女にモテる訳だ。」
……男にもだ、って本人気付いてないんだろうけど。
その言葉は流石に飲み込む。
そして、そんなことを考えた自分にハボックは苦笑する。
「男にモテる、というか……男に狙われてるんだよな。」
ぼそりと口の中で呟きを漏らす。
軍部というのは男性の率が高く、女性に飢えている者が多かったり、時にはそちらの気に目覚める者もいたりする。
後者の人間にとって可愛い系やロイの様な美人系の男性は格好の獲物となる。
……こんなふうに無防備に寝てたら、あっという間に食われるっていうのに。
ハボックは思考を巡らせつつ、何度か輪郭を指でなぞる。それでもロイは一向に起きず、寝息を立てている。
その時、胸の内で何かがざわめくのを感じた。
それはだんだんハボックの心を侵食していく。
――他の奴になんか渡さない
輪郭をなぞっていた指でロイの唇に触れる。
指先でしっとりとした柔らかな感触と僅かに指より低い体温が感じ取れた。
――ほんの少し冷えたその唇を思い切り暖めたい
そして、そのまま自分のものにしたい
滅茶苦茶に…してしまいたい
ハボックは強い欲求に襲われる。
……いい加減起こしたほうがいいな。
ハボックは無理矢理考えをシャットダウンする。
自分は彼の部下で、彼の野望を叶えるために彼と共にいるのだから。
自分の欲望を押し付けるわけにはいかない。
煙草を口からはずし仕舞い、軽く息を吸い込んでからロイの肩を揺さぶる。
「たーいーさー。起きてください。大佐!」
「んっ…んん……」
「大佐、起きないと中尉を呼んできますよ。」
「ぅん…少尉、か?」
薄く開けられた瞳がハボックを捉える。
「起きてくださいよ、大佐。中尉をこれ以上怒らせると、本当にあの世逝きになっちまいますよ?」
「んー…今起きる。」
そういって目をこするロイの仕草は幼い子供のようで、まだ寝惚けていることがありありと伝わってくる。
そんなロイの様子にドクンと心臓が脈打つ。
――このまま、俺のものに……
ハボックはその思いを封じ込めるように、ゆっくりと息を吐き出した。
「なんだ、その溜息は。」
意識がはっきりしたらしいロイがハボックのそれを見咎め、眉根を寄せる。
「いえ、なんでもないっスよ。」
「どうせ仕様がない上司だとか何とか考えていたのだろう。」
拗ねたような雰囲気のロイにハボックは苦笑し、違いますよと否定する。
この上司様は聡いくせに、ヘンなところで鈍感だ。
――この思いを知らしめてやりたい
そんな考えが浮かびつつも、気付かぬ振りをする。
「それより、早く戻ってくださいよ。俺まで中尉に怒られますって。」
「それはいい。道連れだ。」
「ちょっと、大佐!」
にやりと笑い、再び毛布をかけなおすロイに慌ててハボックは声を上げた。
「冗談だ。」
くつくつ、と喉で笑うロイに先程のあの子供のようにあどけなかった寝顔の面影は全くない。
――この人を屈したい
歪んだ思いが再び湧き上がる。
そして、ロイはそんなハボックを余所にし、毛布をどけてさっさと立ち上がる。
「ほら、少尉。行くぞ。」
「え、ええ?ちょ、待ってくださいよ。」
慌てて立ち上がり、スタスタと歩いていくロイの後を急いで追う。
追いついたところで持て、と毛布を押し付けられた。
ハボックは毛布を受け取り、ロイの斜め後ろに続く。
「お前はあれだな。」
唐突なロイの言葉にハボックは首をかしげ、自分より背の低い上司を見下ろす。
「なんスか?」
「犬。」
「は?」
「お前は動物にたとえたら犬だな。」
「……それって、俺はしもべだ、って言いたいんスか?」
以前、ロイは『何よりその忠誠心!主人の命令には絶っっっ対服従!過酷に扱っても文句を言わんし給料もいらん!そう!まさに人間のしもべ!いいねぇ犬!!大好きだ!!』と見解したことがある。
「いや、否定はしないが……何となくな、そう思ったんだ。」
「否定してくださいよ……犬、ねぇ。」
なにやら複雑な思いである。
「ああ、だったら大佐は猫っスね。」
そう、妙に計算高くて、気ままで身勝手で、やたら滅多らプライドが高く偉そうで、人に懐かなくて、それなのに時折甘えた表情を見せる。まさしく猫の気質そのままだ。
もしロイが猫なら酷く美しく優美な黒猫。
――そんな黒猫を捕らえてしまいたい
「何?」
ハボックの歪んだ思いは、眉をひそめ振り返ったロイの黒曜石のように澄んだ瞳と視線がぶつかり、さらに膨れ上がる。
「いえね、大佐を動物にたとえたら猫かなって。」
「何故?」
「なんとなっくスよ。」
理由はあえて言わず、先程のロイと同じ答えを返す。
他愛のない会話を繰り広げるうちに二人は執務室の前に到着していた。
「フム……まあ、いい。では忠犬君、その毛布を仮眠室に戻しておいてくれたまえ。私は仕事に戻ろう。」
ロイは尊大な笑みを浮かべ、仮眠室の方を指し示す。
――この人を制したい
「わかりましたよ。」
内心の思いを押し込め、溜息交じりに答える。
「では、頼んだぞ。」
そう言ってロイが背を向け、簡単に隙を見せた瞬間だった。
ハボックの中で今まで押さえ込んでいた思いが爆発した。
ロイの肩を掴み、無理やり振り向かせる。
「なん――!?」
驚き、なんだ、と尋ねようとしたロイの唇はハボックによって封じられた。
「んんっ……」
ロイの口腔にハボックの舌が侵入してくる。
慌ててロイはハボックの腕を解こうともがくが体格の差により押さえ込まれる。
さらに口内を縦横無尽に動き回る舌に翻弄され力が入らない。
痺れたような感覚が身体を駆け巡り、ロイの思考力も低下する。
「ふっ…ん……」
舌を絡め取られ、吸われ、甘噛みされ、思わずハボックにしがみつく。
そうでもしなければ立っていられなかった。
「んっ…はあっ……」
激しく貪るような長い口づけが終わり、二人の唇が離れる。
そこには銀色の糸が繋がり切れていった。
ロイは荒い呼吸を繰り返しながら、ハボックを見上げる。
その頬はほんのり赤く染まり、唇は紅く熟れ、瞳は微かに潤んでいた。
「そういう顔、しないで下さいよ。もっと酷いことしたくなります。」
「な、ぜ…?」
笑みを浮かべるハボックにロイはただ一言訊く事で精一杯だった。
「ほら、やっぱり餌は頂かないとね。黒猫さん?」
言いながらハボックはロイの髪を撫ぜる。
ロイはその手を払いハボックを睨みつける。先程の媚態の影はすっかり消し去られている。
ハボックの中でまたロイを征服したいという思いが顔を出す。
――が、
「今日は残業だ。ハボック少尉。」
「え゛、まじすか?」
ロイのその一言ですべて吹き飛ばされてしまう。
「私の仕事の手伝いを命じる。光栄に思いたまえ。」
不敵な笑みを浮かべそう言い残すと、ロイはハボックに背を向けさっさと執務室へと入って行ってしまった。
ハボックはしばし呆然と閉じた扉を見つめていた。
が、ふとあることに気付いた。
『私の仕事の手伝いを命じる。』
つまり、残業はロイも一緒ということだろうか?
「参ったな……」
やはりロイはロイだ。
どこまでも食えない。
こちらが一本とったつもりだったのだが――
そんなロイにさらに惹かれ、欲を肥大させていく自分にハボックは、
「こりゃ、重症だわ。」
苦笑いを浮かべながら、仮眠室へと足を向ける。
とりあえず、毛布を返してこなければ……
一匹の黒猫がいた。
――とても美しい
――とても優美な
――とても可愛らしい
けれども・・・・・・
――非常に自尊心が強い
――非常に高慢な
――非常に我儘な
そんな黒猫に俺は魅了された。
☆THE END☆
以前、開催していたお祭り・鬼畜祭2様に投稿させていただいた作品を少し直しました。
私の中でハボックはロイに勝てないらしいです。